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東京高等裁判所 昭和31年(ナ)1号 判決 1956年4月12日

原告 内藤金治

被告 山梨県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「昭和三十年九月十日執行の山梨県東山梨郡牧丘町町議会議員選挙の中牧選挙区における当選の効力に関する訴願に対し、被告が同年十二月十九日なした裁決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、昭和三十年九月十日執行の山梨県東山梨郡牧丘町町議会議員選挙(以下本件選挙と略称する。)は、中牧選挙区において岩瀬守孝外八名が立候補し、そのうち八名が当選し、武川喜代重は、同町選挙会の決定得票数一五三を得て最下位当選人として同月十一日告示された。

二、しかるに右武川喜代重の当選の効力に関し同月二十四日選挙人岡正直外六名より同町選挙管理委員会に対して異議の申立をなし同委員会は、同年十月二十六日「本異議申立は棄却する。」との決定をなし同日その決定書の交付をなしたので、(右の決定書には十月二十二日と記載され、一切の手続を完了したのに、改めて十月二十六日に委員会を開催して投票の調査をなし、同日決定となつたのであつて、かようなことは裁決に予断のあつたことを証明するものであるから、本件においては特に公正な裁断を仰ぐ。)原告は同選挙区の選挙人として右岡正直外六名とともにさらに同年十一月十六日被告に対し訴願したところ、被告は、同年十二月十九日訴願棄却の裁決をなし、同日その裁決書の交付をなした。右裁決は、その理由において、三票の潜在無効投票を認め、これを公職選挙法第二百九条の二の規定による処理の結果、最下位当選人武川喜代重の有効得票数を一五二、七三一次点神宮寺武徳の有効得票数を一五〇、七三四と決定した。

三、しかしながら右裁決は、武川喜代重の得票数一五二、七三一のうち三票の無効投票の存在するのを無視して有効となした違法がある。すなわち、その第一票は、「一きよしげ」と記載されたもの(検甲第一号証)で、明瞭に記載された「一」は、運筆の拙また書損と認むべきものでなく、純然たる他事記載である。その第二票は、わざわざ候補者氏名欄の左上部に続けて二字の抹消文字を付して「むかわ」と記載したもの(検甲第二号証)で、「むかわ」の上部の二字を書きかけて抹消したものとなすは、強弁も甚しく「むかわ」と書きうる者がわざわざ続けて二字を抹消し、或は書損をなす筈もなく、明らかに第一票と同様の他事記載と認むべきものである。その第三票は、「向川」と記載したもの(検甲第三号証)であつて、この投票を武川候補に投票する意思を有していたと認めることはできない。本件選挙の中牧選挙区における投票所の全候補者の氏名等の掲示にはフリガナがつけてあり「向川」と書きうる者が武川又は「むかわ」と書き得ない道理はなく、隣接西保選挙区内に「向川」を「むかわ」と呼ぶ地名のあることは認めるも、殊更「向川」を「武川」の当字として見つけて記載したものであつて、第一、二票と同様有意の他事記載か又は候補者の何びとに投票したのか識別不能であるから無効とすべきである。以上武川喜代重の有効得票中には三票の無効投票があるから、これを右一五二、七三一の得票数より差し引くときは同人の有効投票は一四九、七三一票となり次点神宮寺武徳の有投得票数一五〇、七三四よりも少ないので、神宮寺武徳が当選人となり、武川喜代重の当選は無効といわなければならない。よつて被告の右裁決の取消を求める。

四、本件選挙の中牧選挙区における武川喜代重の直近上位の当選人は、田村明で、同人の有効得票数は一七四、六九二であるから、本件係争投票の有効無効は武川喜代重、神宮寺武徳以外の者の当落に影響するところはない。と陳述した。(立証省略)

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の事実中一、二、四の事実は、これを認める。三の事実については、武川喜代重の有効得票数のうちに、「一きよしげ」(検甲第一号証)「むかわ」(検甲第二号証)「向川」(検甲第三号証)なる記載の各一票があつたことは、これを認めるが、その他は争う。右三票はいずれも次の理由により武川喜代重の有効投票である。すなわち、(一)「一きよしげ」と記載した一票(検甲第一号証)の「一」は短く、その下に考えながら自然に鉛筆の先で突いたと思われる点が四つばかりあり、「武」の字を書きかけたものと推定されるから、有意の他事記載とは認められない。(二)「むかわ」と記載した一票(検甲第二号証)の最初の二字は書きかけて抹消したものであつて、これも有意の他事記載とは認められない。(三)「向川」と記載した一票(検甲第三号証)については、武川候補の氏は「ムカワ」と発音され、「向川」と書いて「ムカワ」と呼ぶ地名が本件中牧選挙区に隣接した西保選挙学区内にあり、中牧選挙区の候補者中には「ムカワ」に類似して発音する氏名を有する者は武川喜代重を除いては他に見当らないので、選挙人が武川候補に投票する意思の下に記載したものと認めるを相当とする。以上三票はいずれも、武川喜代重の有効投票と認むべきであつて、右神宮寺武徳の届出による立会人であつた原告を含めた選挙会においても全員が右三票を武川喜代重の有効投票とすることに異議がなかつたものである。従つて依然として武川喜代重の有効投票数は、一五二、七三一であり、次点神宮寺武徳の有効投票数は、一五〇、七三四であるから武川喜代重の当選は有効であつて、原告の本訴請求は失当である。と陳述した。(立証省略)

理由

原告主張にかかる一、二の事実は、当事者間に争のないところである。(牧丘町選挙管理委員会が本件異議の申立を審査するに当り、昭和三十年十月二十二日委員会を開催し、さらに同月二十六日委員会を開催して投票を再調の上決定したことは、成立に争ない甲第二号証により認めうるが、この事をもつて原告主張のように決定に予断をもつてなしたものとは到底認めがたい。またかような同委員会の措置は本件選挙の効力に何ら影響を及ぼすものではない。)

よつて本件の争点は、検甲第一ないし三号証が原告主張のように武川喜代重の無効投票と認むべきか、または被告主張のように同人の有効投票と認むべきかにあるので、順次これを判断する。

公職選挙法における投票については、投票用紙に自ら当該選挙の公職の候補者一人の氏名を記載すべく、かつこれには選挙人の氏名を記載してはならないことは同法第四十六条の規定により明らかで、その効力の決定に当つては、同法第六十八条の規定に反しない限りその投票した選挙人の意思が明白であればその投票を有効とするようにしなければならないことは、同法第六十七条の明定するところであつて、同法第六十八条に投票の無効を規定する所以のものは、選挙人の意思を推察しがたいか、又は投票の秘密保持上支障を来し、選挙の自由公正を害する虞の生ずべきことを避けるにあつて、かかる虞のない投票はできる限りこれを有効とすべきことが選挙制度本来の趣旨であり、民主政治の健全な発達を期する目的に合致するものというべきである。

よつてこの見地に立つて前記問題の三票の効力を検討することとする。

(一)  検甲第一号証の「きよしげ」を除いた他の記載は、選挙人が投票用紙の候補者氏名欄の上部に「一」と鉛筆をもつて書き初めた程度の短少なもので、選挙人は、なお書き続けようとしてやめ、自分の知つている仮名の「きよしげ」と武川喜代重の名を書いたものと推認するを相当とし、恐らく選挙人は「武川」の氏を書こうとする意思ではあつたが、その文字を憶い出さなかつたのか、或は知らなかつたのか、いずれにしても書き得なかつたので、途中でやめ、ただ「きよしげ」と名前だけを書いて武川喜代重に投票しようとする意思を表示したものであろう。かく解することは該票記載の全体が稚拙の仮名文字である点に鑑みても首肯せられるところであつてこれを選挙人が自己の投票であることを示すために殊更に書き入れるなど有意の他事記載と認めるわけには参らぬので、これを武川喜代重の有効投票と認めるのが前記の見解に適う所以である。

(二)  検甲第二号証の「むかわ」と記載した上の二字は明らかに書損を抹消したものであることが認められ、これを有意の他事記載と認めがたいことは前項(一)と同断であつて、武川喜代重の有効投票と認める。

(三)  検甲第三号証の「向川」の記載を「武川」と同一に発音することは一般に適用せられないところで、「向」と「武」とは字画も甚しく異る。本件選挙の中牧選挙区に隣接する西保選挙区内に「向川」を「ムカワ」と訓む地名の存することは当事者間に争なく、中牧選挙区の候補者中に武川喜代重を除いて他に「ムカワ」又はこれに類似の発音をもつ氏名の者のないことは、成立に争ない甲第一号証及び乙第一号証によりこれを認めうるが、ただこれだけの事由で他に特段の事情(例えば、武川喜代重が向川部落の出身で通称を向川というなど)の認めがたい本件においては、選挙人が「向川」と記載して武川喜代重に投票しようとする意思であつたものとは到底認めがたく、また被告主張のように選挙人が「武川」と書くべきを「向川」と書き誤つたものと見ることも該票の記載態様に照らして、にわかに肯定しがたい。従つて該票は候補者の何びとに投票したものか判別しがたいものとして無効と認むべく武川喜代重の有効投票ではない。

以上本件係争の投票について、判断を尽した次第であつて、当事者双方挙示の証拠中他に右の認定を覆えし得るものはない。しかして、本件係争の投票の有効無効が本件選挙における武川喜代重及び神宮寺武徳以外の候補者の当落に影響することのない事実は、当事者間に争ないのであつて、前叙のように本件選挙における武川喜代重の有効得票は無効の一票を除いた一五一、七三一票で、神宮寺武徳の有効得票一五〇、七三四票よりも多数であるから、武川喜代重の当選人であることは明瞭である。

よつて、これと結局において同旨の被告の前記裁決は相当であつて、右裁決の取消を求める原告の本訴請求はこれを認容するに由なく、失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大江保直 草間英一 猪俣幸一)

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